大西「おい、多聞!重慶爆撃での当方の被害を見てみろ。向こうは市街地に陣地をつくり、対空砲火をしているんだ。そろそろ市街地への絨毯爆撃をするべきじゃないか」山口「いや、列国の大使館に落ちたら、国際問題になる。軍事施設に絞るべきだ」大西…大西瀧次郎 山口…山口多聞
日本の近代史とともに歩み、太平洋戦争終戦とともに消えていった 日本海軍の歴史〇明治元(1868)年5月〜 日本海軍、設立さる!日本海軍は明治維新後に諸藩や海援隊の艦艇と幕府の残した艦船や諸機関を再編成して設立された。正式に日本海軍として発足したのは明治3年である。〇明治27(1894)年7月〜28年3月 最初の対外戦争 日清戦争での大勝利!台湾や半島を巡って清国と対立を深めてゆく日本。明治27年に勃発した日清戦争で、日本海軍は黄海海戦などで清国海軍を撃破。戦勝の要因となった。〇明治37(1904)年2月〜明治38年9月 欧米列強の一角、ロシアを倒す!六六艦隊を擁する日本海軍は、極東艦隊を旅順に閉じ込め(旅順陥落により壊滅)、バルチック艦隊を日本海海戦で殲滅して戦争終結の道を開いた。〇昭和16(1941)年12月〜昭和20年8月 太平洋戦争、開戦!太平洋戦争はマレー上陸とフィリピン空襲、そして真珠湾攻撃で始まった。その尖兵となったのは陸上攻撃機と空母機動部隊という海軍航空隊の二本柱だった。〇そして日本海軍の終焉ソロモンでの激闘によって日米両海軍は共に消耗した。しかし巨大な工業力によって再建された米軍が反攻を再開したとき、日本にこれを防ぐ力はなかった。マリアナ沖、レイテ沖で消耗した日本海軍は、「大和」の沖縄特攻によって終焉を迎える。〜『栄光の日本海軍 パーフェクトファイル』 デアゴスティーニ(著) シリーズ紹介冊子より〜
明日の投稿はお休みじゃー
第二次大戦が勃発する前の時代、戦艦の存在感というのは現代で言うところの核兵器に匹敵したというからなー。戦艦を保有していない国の海軍は、戦艦保有国の海軍には絶対に勝てない、と見なされていた訳だな。
建造中だった戦艦土佐は、ワシントン海軍軍縮条約によって廃棄が決定。わざわざ高知県の土佐湾にまで運んで、船体を沈める事に…。
大正11年(1922年)に締結されたワシントン海軍軍縮条約によって建造中の戦艦は廃棄される事が決定。日本の長門型戦艦については、1番艦「長門」は完成状態であったため問題なかったが、2番艦「陸奥」は微妙な状態にあったので揉める事に。日本側は陸奥は既に完成しているとして廃棄を拒否し、米英側は陸奥は未完成なので条約に従って廃棄せよと主張。最終的には日本の要求が通って陸奥の保有は認められたものの、その代償として、条約で廃棄される予定になっていた米国のコロラド級戦艦の2番艦、3番艦の建造続行を認める事になり、英国に対しても16インチ砲搭載戦艦(ネルソン級戦艦)2隻の建造を認める羽目に。陸奥1隻を保有したばかりに、互角の力を持ったライバル艦が4隻も増えてしまったのでは全く割に合わない気もするけど、完成間近となっていた帝国海軍期待の最新鋭戦艦を廃棄する決断をどうしても下せなかった、当時の関係者の心情も一部理解出来なくはないからなー。どれだけ高学歴であろうとも人間は感情の生き物。理屈だけで世の中が動くことはまず無い。
昨日の投稿、「コロラド級級」になっているw 大事なことなので2度書きましたwww