色々ありましたが、皆様、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。…まだまだ負けないよ、自分にも、世の中にも。認めてくれる人達がいる限り。
封書。深く長い感謝の言葉を頂戴する。ぼくなんかが形見を頂いてもいいのだろうか?…1年は早い。
身体はボロボロになりながらも平日は絶対に飲まない。忘却して済む問題など抱えていない。ぼくの頭は、どうにかして物理的に身体を休ませようと命令を出すが、ぼくは、それを許さずに金曜日の夜まで緊張の糸を切らずにいる。だからこそ、今、酒がウマイ。もう終盤の夏休み水泳指導。一生懸命やった練習は、必ず君たちの味方になってくれる。来週の検定の前に、もう一度、先生と練習しよう。明日、絶対に早起きしないんだ!
新しい目標が出来て、今はネガティブな事象など眼に入らない。来年度に笑顔でいられるように一歩ずつ、一歩ずつ…。
今年も様々な困難がぼくの前に立ちはだかる。「何で今更…」な出来事や「このタイミングはやめてくれ」ってものまで。だがしかし、孤独に打ちひしがれながらも、自身が決めた目標に向かって歯を食いしばり、絶望の淵で両足を踏ん張る。苛烈に生きるのは、決して容易くない。肉体と精神を極限状態に置くのだ…。
ぼくの周りの人たちは幸せを手にした。しかし、心配を掛けたまま逝かれた先輩もいた。簡単な、たった一歩を、踏み出すのが怖い。臆病な自分が大嫌い。
この1年、昨年の大震災もあり平穏に過ごしたい人がほとんどだろうと思う。ぼくもその一人で、一昨年に禁煙、昨年ダイエット(進行中)ときて今年は禁酒を完遂するつもりでいる。平穏無事に生きるのは、簡単そうで意外と難しい。だからぼくは毎年自分に足かせをはめる。他人から見て楽でも苦でもどちらでもいい。自分が「やり遂げる事が辛い」と思う事をやり遂げる。…ここをあんまり更新すると、結構な人が見に来て「心が見透かされている」ようで恥ずかしいから更新頻度は極限まで下げて頑張ろうと思う。
大震災を経験し、改めて自然の脅威を感じた年。阪神大震災やサリン事件の時は、アメリカにいたので人ごとのようにニュースで見ていただけだった。色々と大変だった1年が終わり、新しい1年で新たな支援をしたいと思う。勿論、ぼく自身の成長も含めて。もう、タバコの臭いが嫌いになった。時間の経過って凄い。
禁煙は成功した。…ハズ。そして、今度は禁酒に取り組んでいる。ハッキリ言ってマジでオカシイ。身体がおかしいのだ。2010年、これほどまで自分を追い込み我慢の年になろうとは。近年希にみる改革の年と言える。タバコの無い生活。これは高校生以来だ。酒の無い生活。10年ぶりくらいだ。そんな生活リズムを全て壊し、また再生しようとしているのだから1週間やそこらでリズムが安定するわけもない。頭は受け入れていても、身体が「??」と反応する。タバコを断って半年、酒を止めて7日。全く持ってつまらん人間に成り下がりやがった。
ぼくはファーストコンタクトで「いい人」らしい。その後、付き合いを続けるうちに何故か「他の人との橋渡し」をして自らをピエロに追い込む傾向がある。そう、直接の連絡を互いにしなくなるのだ。それが悪いとは言わない。ぼくというコネで他人の者同士が繋がるのは素晴らしい事だ。しかし、その後「ぼくを介す必要性が無くなる」為に結果的に自分を貶めているような気がする事もある。人間は1人では生きられない。こんな事は哲学を持ち出さなくても万人が周知の事実だ。しかし、ぼくは「その1人を選択した」のだ。飽くまでもパートナーという意味で。1人が怖いんじゃない。「1人だと感じる瞬間」が怖い。これだけ沢山の素晴らしき人脈に囲まれて「1人」と言うのは申し訳ないが、…やっぱり、ぼくは1人なのだ。いや、「1人を感じる事ばかり」なのだ。ぼくの根幹にある疎外感がそうさせているのかも知れない。幼少期に排斥された生活を強いられたぼくには当然かも知れない。…人生の答えなんて要らない。ただ「偽善の境界線」と「心の持っていき方」をこの頑固者に納得させるべく有識者に語って欲しいと願う。タバコやめて太った。経済的に助かったのか、まだ実感はない。何がプラスになったというのか?