監禁画廊ブログ
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奴隷画廊
(再修正済み)
タイには卒論の調査に観光も兼ねて、同級生の朋子と二人で行きました。着陸態勢に入った機内の窓から見えるタイの大地はとても印象的で、3月というのに眼下には緑の田園風景が広がっています。私はこの時、とても不思議な感覚にとらわれていました。朋子には黙っていましたが、とても懐かしい感じで、私はこの国に住むことになるのではないかという予感です。そして、その予感は的中し、私は蜘蛛の巣に引っ掛かってしまった羽虫のようにこの国に囚われてしまうことになるのです。空港からリムジンバスで市街地のホテルに到着すると、悲しい知らせが私たちを待っていました。朋子の祖母が心筋梗塞で亡くなったという連絡がホテルのフロントデスクに届いていました。朋子とは中学生の時からの親友で、私も朋子のお祖母様にはとても良くして頂いていたのです。そのまま日本に帰ることになった朋子を空港まで送り、ホテルへ戻った私は、ホテルのビュッフェで遅め夕食をとることにしました。若い女性が一人でいれば、話しかけてくる男は多いものですが、いつもなら私はそんな男を相手にしません。ただ、このときは一人でさびしかったのと、旅先での開放感からなのか、雄一さん(雄一さんが今の私の所有者です。)のナンパに応じてしまったのです。ホテルの近くのカラオケスナックのような店でカクテルを飲んだ後の記憶がありません。(カクテルに睡眠薬が入っていたことは後で知りました。)目が覚めるとそこは、薄暗いコンクリートがむき出しの10坪くらいの部屋で、わたしはまる裸でした。それから3泊4日の間、ほとんど監禁状態のままで私は、雄一さんと2人のタイ人にマワされ続けました。皮製の拘束具で自由を奪われ、前からはもちろん、後ろからもヤラれ続け、私は何度も気を失いましたが、そのたびに無理やり起こされて、バイブやムチで責められ続けました。私は3人のモノを順々にクワえさせられましたが、最初にそれを拒絶すると、何度も何度もビンタされました。私はすっかり観念して、男たちの命令には何でも従う他ありませんでした。3人の固くなったものに順番に口で奉仕しながら、そうする間にも、前から後ろからハメられ続けましたが、この時ほど私は自分がメスだということを思い知らされた時はありません。そして、その様子はすべてビデオカメラで撮影されてしまいました。大学を卒業すると、見ず知らずのタイ人と偽装結婚させられ、バンコク市内のご主人様の貿易会社(会社といっても自宅兼事務所で、従業員は私しかいません。)で性奴隷兼事務員として働かされています。ご主人様が私に飽きたら、私をモノのように売り飛ばしてしまうのでしょうが、メスである私は今の性奴隷の境遇に満たされているのです。