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こんな身体にされて温泉にも病院にも行けないこれからどうすればいいの
おお、こちらでも浣腸液注入中かこちらは庭に蹴落としてそこでたれ流しだな
いいですね。
たくさん出す。
おおのさん、F市 家畜豚の生きざまのようです・・・・最低最下層の口便器の糞豚マゾ女です
学生の頃、まだ政情が安定する以前の東ヨーロッパの、旅行先で見た情景が思い出されます。なんの罪、どんな状況であったのか、三人の女たちが男女ふたりの兵士に縄を引かれて通りを歩かされていたのでした。あのような残酷な情景を見て女性たちの思いに同情を寄せるのではなく、むしろ妖しく胸をときめかせてしまった、そんな自分に、また自ら同様の憂き目を強いられることになった原因のひとつがあったのかもしれません。
宿舎での長いご奉仕は、目をつけられた女囚に苦行として強いられる場合もあります。C国人の看守に特に憎まれていたロシア人の女囚がおいました。左の二の腕と右の腿に、白い肌にことさら黒々と入れられた囚人番号の刺青がいかにもむごたらしかったのをよく覚えています。私が夜半過ぎに突然呼び出しを受けて看守の部屋に入っていくと、彼女が全裸で跪いてクチを使われていました。もう何時間になるのでしょうか、ソファのシーツにはクチもとからのよだれが小さな水たまりを作り、疲れ切った表情の彼女はそれでも首を振りシタを動かしながら、ハダカにもされずただ横に立たされているだけの私を恨めし気に見やったのでした。おそらく彼女に疲れが見えてきたので、要求通りにクチを使えなくなったら代わりに使うつもりで私を呼んだのでしょう。それでも彼女は、途中クチに放尿される侮辱にも耐えながら、二度の射精に導き、私はそのまま監房に返されたのでした。
宿舎でクチを使って看守様たちにくつろいでいただくのは、いわば背中を流すことや、足や腰を揉むのとおなじこととして女性看守にも黙認されています。わざわざ同年輩の女囚を選んで足指を舐めさせるのが好きな女性看守もいます。看守の威厳に関わりそうなところを舐めさせて声を聴かせたところで、女囚に何ができるわけでもありません。
カラダを使われることはなくても、クチを使われるのはしょっちゅうのことです。看守は任意の女囚を自室での使役に呼び出すことができます。そして同僚たちとの長い夜、女囚にとってはさらに長い夜を、テレビの前で、クチに含まれて過ごすのです。
女性看守の目もあるところですから、また収容所にはコンドームやピルもないので、女囚がセックスそのものやアナルを強いられることはあまりありません。女囚たちは自慰や同性愛行為を禁じられてむしろ性的飢餓の状態に置かれる、そのことこそが「懲役」の実質と考えられているようです。それが検身のたびごとに、女性にせよ男性にせよ、看守の指や鞭の先でなぶられた肌をそのままに放っておかれるのですから、飢餓の苦しみのひとしおです。女囚の性質や性向にもよりますが、看守の指を追い求めるように腰を動かす女囚のため息は、本当に哀れに聞こえます。
その場での全脱衣と腕挙げは、看守の任意に与えられる軽い懲罰でもあり、女囚の従順さを試みる良法ともされます。拘束なしに、全力で命令に服する心構えがなければ、服役態度の良い女囚とはみなされません。この女囚など、もうどれくらいの時間になるのでしょうか、歯を食いしばるようにして高く挙げた両腕を震わせています。
壁際に全裸で並ばせられた女囚の群れの哀れな姿は、なにかと誘惑の多いF市周辺の少女たちの遵法意識をはぐくむためのよい教材、見せしめとしても使われます。もっとも引率の教員や指導者たちにとってのちょっとした目の保養に使われているようにも思われます。
予告なしの全裸検診は、女囚たちに衣服を身につけていてもいつも全裸にされているような不安感をあたえます。さらに強い不安と支配されている実感をあたえるのは、数分から数十分におよぶ「腕挙げ」の姿勢がいつ許されるのかが、まったく支配者の気分ひとつにゆだねられているということです。全裸検診の続く間はわずかな身じろぎも許されず、鞭の先端がからかうように、脅すように肌をなぞっていきます。時間が長くなるにつれ、「腕挙げ」の苦行の終わりを告げてくれるはずの看守様の笛に注がれる女囚たちの眼はあるいは恨みを含み、あるいは慈悲を願って縋るもののように変化していきます。
裸検診も毎日三回以上、年中欠かすことなく行われました。労役へ出房するときと帰房のとき、そして通常は一〜二度、作業中や食事中にでも予告なく突然に。笛が鳴ると女囚たちは全員直ちに、通常7秒以内にその場で全裸になって、指示された場所に移動、整列しなければなりません。囚衣と言っても頭からかぶるだけの一枚ものなので、脱ぐのに数秒もかからないのです。手は両肘が耳の高さより上に来るように挙げて腋をさらし、足は肩幅の倍に広げ、顔を上げて目は伏せ、クチを大きく開いて舌を突き出すようにしておくのが検診をお願いする女囚としてのお作法です。四つ這いや「hold your uncle」の姿勢は全員に命じられるときもあれば、目をつけられている女囚だけに命じられるときもあります。
仕事を与えてもらえないときは、終日この格好で犯した罪を反省し、通りがかりの看守様や職員様たちに「すがたかたち」を「すみずみ隠さず」ご披露して笑っていただき、よく覚えていただくよう命じられます。
お役所の伝票仕事の都合上、衣服の支給は収監の一週間後ですから、新入りはそれまで全裸で過ごすことになります。初日はみっちり、立ち居振る舞い、起立や正座の姿勢などを仕込まれます。翌日からは履物もなしに重作業もできないので、顔見世を兼ねて看守宿舎に配属され、手をいつも後ろ手に組んでいる、正座と時には自分のカカトで尻肉を開いておくなど、先輩の振舞い方を見習いながら、お部屋や身の回りの雑用などに使役されます。日常の点呼や検身で裸になることに慣れさせておくため、また膝をついての床掃除や、すきっ腹を抱えたままでの食事のお給仕や皿洗いなど、看守様たちにお仕えする女囚の立場を身に沁みさせておくためというのがその目的です。
ご存じの通りの、これらの何十倍も屈辱的なあのポーズでの写真も同じです。だから出獄者はいつでも裸を暴かれる立場に置かれることで、周囲に埋没し服従することを暗黙の裡に強いられるのです。今日もどこかの役所のファイル棚の前で誰かが私の裸を楽しんでいる、そう思うととても悲しく悔しい気持ちになって、同時に自分がもう、見かけ上普通に生活しているとしても、一人前の市民ではないという劣等感を強く掻き立てられます。
収監のときに裸写真を撮られることは、どこの刑務所でも行われている、長い屈辱の日常へのありふれた通過儀礼なのでしょうが、ここでは裸写真を撮られるとその写真が現住所や出身地の区役所などの関連機関に送られてファイルに収められ、誰もがかなり無制限に閲覧できるようになっています。出獄後も十年間保存され、私のこの姿を見ようと思えばほとんどだれもが、見ることができるのです。
私自身の愚かさといくつかの不運や裏切りの結果、C国F市郊外のある収容所で女囚としての生活を経験することになりました。F市は商業都市、観光地でもありながら、外国にも知られた売春都市です。男尊女卑や権威主義気風が色濃く残るこの国の収容所で、主にF市から収容されてきた女囚の受ける過酷な処遇には、ほかの国や都市にみられないものが少なくないように思われます。
これもパパのご本のページの間にあった写真。女のお客に見世物にするってひどいと思う。でもわたしはとてもドキドキしたの。
だからパパのこととユウキさんとのお話が一緒に出てきて、誰がF市に残り、誰がユウキさんとの婚約に進むかということになった時、私はママがどのように決めるかわかっていました。むしろ私は、自分がF市に残されることを望んでいた。だからママがそのように決めてくださったのだと思っています。タカコはユウキさんと幸せに暮らしてください。ママは最後までパパのお世話を続けて差し上げて。私はこれから夜明けまで一晩の間、床の間のハダカ飾りになって長い夜を過ごします。もう私のことは忘れてください。それぞれが自分の望んだとおりのものを手に入れたのですから。F市でもこのお店はずいぶんかくれた場所にあって、ママたちには見つけられないと思います。もう私からもお手紙を書くことはないでしょう。さようなら、お元気で。
パパの書斎のたくさんのご本、大学まで行かせていただきながら私にはほとんど読めるようにならなかったのだけれど、古いフランス語のご本にはさまれていた一枚の写真を見た時の胸の震えだけはわすれられません。娼館のフロアに一列に並んでマエも隠さず全裸をさらし、お客たちの品定めを待っている五人の娼婦たち。とてもかわいそうで、でもとてもうらやましくてたまらなかった。その日から私にもいつか、女としてのプライドや羞恥心の一切を奪われ、何人もの名前さえない裸女の群れの中の一人になって、自分がより残酷な辱めを受けるために選ばれることを願う、そんな日が来ることを夢見るようになりました。タカコはパパの書斎の書棚にときどき、イヤらしい絵や写真が混ざっているのを見て、とても嫌がっていましたね。
私もようやくお店での暮らしに慣れて、昔のことを思い出せるようになりました。あの日、私ではなくてママかタカコがF市に残され、私が帰国してユウキさんと結婚することになっていたらと、思わない日はありませんでした。でもやはり、いくらパパのためだといっても、ママやタカコではこのお店でのおつとめにはとても耐えられなかったでしょう。だからママがタカコを選んでくれてよかったと、今では心からそう思っています。
毎日毎日、お店がはじまる前にボーイさんたちのお部屋に呼び出され、デスクの前に正座して、肩口や突き出した剥き出しのお尻を鞭でからかわれながら、いろいろなおしゃぶりの技巧、舌やクチビルやのどの使い方教えていただく新入りの仕来り、アレってとてもイヤだったけれど、今はありがたかったんだと思うわ。今日はおくちで射精をうけとめた後のお掃除が気持ちよかったので、それでおくちに気分よくオシッコができたということで、ほめていただいた。私、たくさんがんばってたくさん飲み込んだのよ。そのご褒美にこのお手紙を書かせていただくことができたの。この頃はもう、からだにこたえるようなきついお仕置きを頂くこともほとんどなくなったので、ママたちも安心して。
こういうお店のお仕置きがどういうふうなものかは、いきなりじゃママたちにはさすがにちょっとショッキングだと思うんで、ここには書かないで置くほうがいいかな。だからおくちのなかでお客さまが大きくなってくるのが感じられると、とても安心、ハッピーな気持ちにさえなります。
おくちだけで男の人に満足していただくのって、たぶんママたちが考えているのよりずっとずっと難しいの。こういうお店のお客さまって、私たちのような、誰にでもカラダをひらく女のハダカを見て少し肌に触れたくらいでは、全然大きくならないのだもの。びっしり生えてる毛の中から舌を使って、掬い取るようにしておくちに含まないといけないのだけれど、そこから大きくなっていただくまでが、わたしたちこのお店の女のお仕事の、いちばん難しくてつらいところです。大きくして差し上げられないと、理不尽だけれど、私たちが恥をかかせた、ご期待に応えられなかったということになって、お仕置きをうけないといけなくなるのですから。
お客さまのお部屋にはこの格好で、ボーイさまに首縄かつまんだチクビを引いて連れて行っていただきます。最初この姿で人前に出させると聞かされた時は、それだけで息が詰まって足が震えたものでした。でもいまでは大廊下や広間を歩くのも、ほとんど平気になりました。男性のお客さまばかりではないので、同じ年頃の女性のお客さまたちに笑われたり、ジロジロ見られたりすることもあります。でもとくにつらいのは、かわいそうがられたりする時かな。この格好のままお客様の前に跪いてする、即肛即尺という、あのとても不潔で屈辱的なサービスも、泣かずに務められるようになりました。男の人の後ろから唇を這わせ、穴に舌を差し入れて、そのままのおくちで前にまわって、おくちに含んでおしゃぶりさせられたりするのですよ。夏の季節に外からお着きになったばかりのお客さまだと、においだけでもう大変。あんなこと、男の人は不衛生だと思わないんでしょうか。私も最初のうちは何度かオナカをこわしてしまいました。
私たち若い日本人の女の子たちは「マルダシーヌ」というグループ名で、いろいろなお座敷やパーティーを廻っていきます。「マルダシーヌ」のうたい文句は「24/7 totally naked. All three holes are always ready for your use」。そう、ここでは私たちのカラダは、愛するためではなくて使うためのものなのです。残酷だわ。
ママ、タカコ、元気ですか。私はあの日、ママたちの前で身に着けていたものを全部取り上げられ、素裸にされて長い廊下を歩かされ、そのままクルマで連れていかれたのでした。それからはあのF市のお店で、ずっとそのままの姿で暮らしています。お店で働く日本人のお友達と一緒に、並んで撮ってもらったプロモーション用の写真を送ります。すごいでしょ。お店の女はみんなこんなふうに、何も身につけないのがデフォ、仕来りになっています。履物もアクセサリーも何もなし。自分の手でムネや前を隠してもいけないの。