監禁画廊ブログ
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どなたか存じませんがボールギャクすばらしいです。乳首をつまんだり、ヨダレをジュルジュルしたい感じです。
Kazuさんのオリジナル調教画像です。手錠、足錠、ボールギャク、ローターはまっています。すばらしいです。うらやましいです。
夜人通りの多い公園で、マイクロミニ、写真のような黄色の紐パンで、ベンチに後ろ手に手錠をかけ、放置するとうつろな目をし、自ら足を開いてすごく感じていました。
あるM女の手記 − 幸せと苦痛の狭間でK.W 22歳ご主人様の命令で、ご主人様とわたしの生活についてご報告させてくださいませ。ご主人様はW大の学生ですが、大学にはほとんど行ってないようで心配です。(ばかでのろまで受験すればだれでも入れるような短大さえもすべった私から考えるともったいないです。)わたしはというと、今は五反田のSMクラブでM嬢をしています。わたしとご主人様の出会いは2年前になります。地方から上京してきて東京で一人暮らしのわたしは生活費をかせぐために飲食店でバイトを始めたのですが、そのバイト先の飲食店で、てきぱきと仕事こなすご主人様は大学生でありながら店長を任せられていたのです。ご主人様は、不器用でドジなわたしにも丁寧に、時には厳しく仕事を教えてくださりました。アルバイトを始めて半年くらい経ったある日、突然ご主人様からデートに誘われました。私もご主人様のことが好きでしたので、ご主人様の求めに応じて、初めてのデートでご主人様とわたしは結ばれました。お付き合いを始めると、ご主人様はわたしのM性に気づかれたのか、セックスに少しずつSMプレイを取り入れるようになったのです。犬の首輪と手錠をはめられて、中まで見えるように自分の指でオマンコをひろげて、淫らにお尻をくねらせていたときです。ご主人様がつえでお尻を強く打ちつけました。今でもよく覚えていますがまぶたの裏に火花が散って、わたしはそれだけで深く強くイッてしまったのです。このとき、M奴隷としてのわたしの運命が定まっただと思います。今ではわたしは、心も身体も完全に雌奴隷です。失敗をすると怒ったご主人様から厳しい懲罰を受けることもありますが、ご主人様のお側で雌奴隷としてお仕えできて幸せです。写真は、伊豆への調教旅行のときにご主人様の大切なブルマを汚してしまい、許可なく勝手にイッテしまったときのものです。ご主人様は罰として、わたしのお尻をつえで何度も何度も叩かれました。わたしのお尻は真っ赤に腫れ上がり、2日、3日は、イスにまともに座ることもできないくらい痛んだのですが、痛くて、惨めなお尻たたきの記憶もわたしには、甘く切ない大切な思い出なのです。。
『肉体改造画像掲示板』から(たぶん)初の殿堂入りです。化粧っけのない顔に大量のスペルマを浴びています。右肩には豊かな色彩の刺青が見えます。そして髪の毛は不自然に短く刈り込まれているようです。以下、妄想ですが、@犯罪集団のアジトで性奴隷として飼われているA普段は逃げないよう鎖と南京錠で繋がれて、男たちのために家事全般を強制されているB男たちの激しい性欲を満たすために全身を使ってのご奉仕を強制されているC家事と奉仕から開放される短い時間は犬用の檻の中に閉じ込められているDさらに、男たち虐待行為は徐々に辛らつさを増していくというような設定で監禁小説を書きたいと思います。
その鉄格子で囲まれた地下室の隅で、全裸の若い女がコンクリートの床に敷かれた粗末なビニールのマットに横たわっています。女は、両手首に着けられた皮製の枷で繋がれたまま、静かに寝息をたてています。その時です、「カッン、カッン、カッン・・・・」と地下室への階段を降りる靴音が、薄暗い地下室の廊下から女が監禁されている地下室まで響いてきました。女は、その靴音にびくっと反応し、反射的に立ち上がろうとしますが、うまくいかず苦しげに小さくうめき声をあげました。女の股間には鉄の杭が深くうたれていて、それが抜け出ることの無いように股に通された縄で頑丈に固定されていたのです。立ち上がろうとして、腰を曲げた女の子宮口に鉄の杭が突き刺さり、女は顔を歪めてその痛みに耐えます。「カッ、カッ、カッ・・・・。」コンクリートの床を歩く靴音が女のいる方へ近づいてきました。女には振り向かずとも、靴音の主が女を監禁した男のものとわかりました。女の動機が早くなり、呼吸が苦しげになります。男は所有する雌奴隷に対して一切の哀れみを持たないまったく残忍な支配者なのです。女の側までやってきた男は、「このメス豚がぁっ!土下座はどうした!」と叫んで、女の臀部を踏みつけました。この地下室では、土下座が支配者を迎える雌奴隷の基本姿勢であり、雌奴隷女が絶対に従わなければならない男が決めたルールなのです。土下座で支配者を迎えられなかった雌奴隷は男から酷い折檻を受けることになるのです。
痛い系は苦手という方も多いとは思います。私もうずらちゃん並みの心臓なので、絶対にできないと思います。それでも見事な虐待ぶりですので、あえて殿堂入りです。
殿堂入り42号です。失礼しました。
監禁画廊殿堂入りNo.04の続編です。
(修正済みの画像です。)みなさんはご記憶だろうか?近未来のA国において無実の罪で人権を剥奪され経済特区の売春宿で働かされることになった不憫な日本人女性の話を。これはその子達のその後の話である。店員:お客さん、どの子にするあるか?2人選んでもいいよ。料金は1.5倍ね。お得よ。俺:日本語は話せるの?店員:みんなもともと日本人よ。日本語できるよ。俺:え、元って?店員:この子達みな犯罪者ね。でも、今ではわが国の経済発展の身も心も捧げるとてもえらい子たちよ。お客さん。どの子に決めるね。俺:それじゃー、真ん中の女の子と、えっと・・・右から2番目の女の子でヨロシク。
惨めな顔ですね。
「どうだ、辛いか?」女の背後から男が尋ねた。縄で縛られて天井から吊るされている女は背後の男を見ることはできないが、男の残忍な顔を思い出してただ黙っている。「これからは、いつもその鼻フックを着けているんだ。勝手に外すなよ。」(鼻が痛いよ。もういや。)「もう二度とそのかわいい顔で男を騙せないように、豚鼻女に変えてやろう。」(そんな、何でわたしが・・・もう帰して。)「おい、変態女、こういうことをされて嬉しいんだろう?」男は、背後から左腕で女の首を羽交い絞めにして、右手で女の秘所をまさっぐり始めた。「あぅあぅ、あぅ、うぁあ・・・」口枷を咬まされている女は、男の指の動きに合わせて不自由な唸り声をあげた。「おっ、下の口もべちょべちょさせやっがって!このメス豚がぁっ!」男はぬめった女のバギナに三本の指を滑り込ませると、上下に動かし激しく動かし始めた。
鉄の首枷には外側ではなく、その内側に鋭利な先端をもつ鋲がいくつも取り付けられていて、哀れな囚われの女に鋭い痛みを与え続けている。女が絶対的な服従を誓うまで、拘束が解かれることはない。
『監禁画廊2(2次元監禁画廊掲示板)』からの最後の殿堂入りです。二次元掲示板の維持が若干苦痛になっていたので思い切って閉鎖して、『肉体改造画像掲示板』としてリニューアルオープンしました。当画像はレスが3件ついたので殿堂入りです。顔にまで刺青を入れられて、奴隷として売られて行くのでしょうね、きっと。
近年希にみる秀作。苦しいそうな表情がセクシー。ぬるい縛りがかえって素人っぽくてグッド。素人さんへ、m(_ _)mm(_ _)m
2枚セットで殿堂入りです『目が覚めたら後ろ手錠で拘束され、首に喰い込むロープ、そして足にも枷が付けられ身動き不能。叫ぼうにも口一杯に布を詰め込まれ唸り声しか上げられず、目も見えず、呼吸も儘ならない悲惨な状態。』
『靴を脱がされて、何をされるかわからず怯えているところで、いきなりの電気ショック。バチバチバチ・・・』
80年から90年代にかけて、その秘密SMクラブは存在しておりました。そこでは、陰湿で残酷な拷問プレイが確かに行われていたのです。 マゾ奴隷として働かされていたのは騙された家出娘や、借金の形として売られた若い女たちでした。女たちは、マゾとしての資質を見出されて連れてこられたのでしょうが、調教師の巧みな調教によって例外なくマゾ奴隷に変えられるのです。マゾ奴隷に堕ちた後は、女たちは施設の中に監禁されて連日連夜お客様のお相手をさせらていたのです。そのプレイルームからはマゾ奴隷の悲痛な叫びが途切れることなくこだましていたのです。「どうだ、酢の浣腸の味は?」「あっ、あちゅいです・・・あ〜ん。ごしゅじんさまー!お、お願いします・・・お願い、お慈悲を下さいませ・・・」「おい、マンコをこんなに濡らして許してくれはないだろう。もう1本だ。おい!漏らすなよ!」「はひっ、あ、あ、あ、あぅぅぅっ!」「おい!漏らしたらクリトリスに安全ピンを刺すからな。我慢しろ!もうお前は人間ではなく消耗品なんだ。わかったか!?」「はひぃぃ、ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん、あっ、あ、あっ!うああぁぁあ!!」
(再修正済み)
タイには卒論の調査に観光も兼ねて、同級生の朋子と二人で行きました。着陸態勢に入った機内の窓から見えるタイの大地はとても印象的で、3月というのに眼下には緑の田園風景が広がっています。私はこの時、とても不思議な感覚にとらわれていました。朋子には黙っていましたが、とても懐かしい感じで、私はこの国に住むことになるのではないかという予感です。そして、その予感は的中し、私は蜘蛛の巣に引っ掛かってしまった羽虫のようにこの国に囚われてしまうことになるのです。空港からリムジンバスで市街地のホテルに到着すると、悲しい知らせが私たちを待っていました。朋子の祖母が心筋梗塞で亡くなったという連絡がホテルのフロントデスクに届いていました。朋子とは中学生の時からの親友で、私も朋子のお祖母様にはとても良くして頂いていたのです。そのまま日本に帰ることになった朋子を空港まで送り、ホテルへ戻った私は、ホテルのビュッフェで遅め夕食をとることにしました。若い女性が一人でいれば、話しかけてくる男は多いものですが、いつもなら私はそんな男を相手にしません。ただ、このときは一人でさびしかったのと、旅先での開放感からなのか、雄一さん(雄一さんが今の私の所有者です。)のナンパに応じてしまったのです。ホテルの近くのカラオケスナックのような店でカクテルを飲んだ後の記憶がありません。(カクテルに睡眠薬が入っていたことは後で知りました。)目が覚めるとそこは、薄暗いコンクリートがむき出しの10坪くらいの部屋で、わたしはまる裸でした。それから3泊4日の間、ほとんど監禁状態のままで私は、雄一さんと2人のタイ人にマワされ続けました。皮製の拘束具で自由を奪われ、前からはもちろん、後ろからもヤラれ続け、私は何度も気を失いましたが、そのたびに無理やり起こされて、バイブやムチで責められ続けました。私は3人のモノを順々にクワえさせられましたが、最初にそれを拒絶すると、何度も何度もビンタされました。私はすっかり観念して、男たちの命令には何でも従う他ありませんでした。3人の固くなったものに順番に口で奉仕しながら、そうする間にも、前から後ろからハメられ続けましたが、この時ほど私は自分がメスだということを思い知らされた時はありません。そして、その様子はすべてビデオカメラで撮影されてしまいました。大学を卒業すると、見ず知らずのタイ人と偽装結婚させられ、バンコク市内のご主人様の貿易会社(会社といっても自宅兼事務所で、従業員は私しかいません。)で性奴隷兼事務員として働かされています。ご主人様が私に飽きたら、私をモノのように売り飛ばしてしまうのでしょうが、メスである私は今の性奴隷の境遇に満たされているのです。
(画像修正済み)
家畜用電気ショック棒です。畜奴に苦痛と絶大な精神的ショックを容易に与えることができますので、畜奴の馴致訓練や折檻道具としての使用に適しています。一箇所に長く当てると火傷になるほど威力がありますから、取扱には注意が必要です。モデルは MS.Koko Li さんです。(よい子も悪い子もまねをしないでね。念のため。)
『畜奴の家』のFigaro様から相互リンクを貼って頂きました。この場を借りてお礼申し上げます。
うつろな視線を前にやると、海水浴の子供達が見える。わたしはぼーっとした頭のまま、四つん這いになり、ご主人様から貰ったバイブをオマンコにいれて前後に動かした。再び全身に電流が走り、わたしは思わずうめき声を上げてしまう。「あっ、あっ、あぅ〜ん、あう、いぃ、あ〜ん、もっと〜」海岸の子供達がわたしに気付いて、こちらを不思議そうに見ているのがわかる。わたしは誰かに警察に通報されるのではないかと不安になる。でも、2回イクまではご主人様の車へは戻ることが許されないので、オナニーに集中する以外にない。ご主人様にバックから激しく突いて頂いていることを想像して、オマンコをバイブで強くこねくり回す。無意識のうちに左手が乳首をつまみあげる。「あぅん、あっ、あっ、ご主人様、もっと、もっと〜、ご主人さま〜っ。」割れ目から熱い液体が流れ出し、やがて、わたしは肢体を痙攣させて激しくアクメに達した。「あっ、あっ、あう、いぃ、あ〜〜ん、イク、イキュ〜...はぁ、はぁ、はぁ....」
エロ度はそれほど高くないけれど、わたくし的には芸術点がほぼMAXなので殿堂入りです。姦禁画像ではない、監禁画像としては高評価でしょう。
「お願い、見ないで。」「何言ってんだ、小便だってクソだって俺の前でやんだよ。」「そんなこと....」「お前は、か・ち・く、なんだよ。家畜が恥ずかしがってどうすんだよ、脳みそも家畜並みか?」
性奴・愛奴画廊から殿堂入りです。下腹部のボディピアス、刺青、そして『焼印』の画像です。
『焼印』と書きましたが"electrocautery branding" という方法のようです。医療器具の電気メス/高周波メスのようなもので皮膚を切除/焼く方法のようです。肉体改造も奥が深いですね。